苔とともに歩んだ40年。モスファームの原点と受け継がれる想い
父が始め、私が受け継いだ苔の仕事
モスファームの歩みは、最初から形が決まっていたわけではありません。
創業者である父が苔づくりを始め、年月を重ねる中で少しずつ今の形になっていきました。
当初は家業を継ぐつもりがなかった現2代目代表北條雅康氏が、なぜこの仕事を受け継いだのか。
そして、現在のモスファームがどんな想いを大切に苔と向き合っているのか。
会社の歩みについてお話をうかがいました。
「苔はすぐダメになる」から始まった
——まず、モスファームはどのように始まったのでしょうか?
モスファームの創業者は私ではなく、父です。
父はもともと造園の仕事に関わっていました。
ただ当時はいろいろあって、かなり気持ちが沈んでいた時期だったと聞いています。
そんな時に、周りの人たちが苔のことを、
「苔ってすぐダメになるよな」
「どこに植えても長持ちしない」
「弱い植物だよな」
そんなふうに言っていたそうです。
普通なら「そういうものか」で終わる話だったのかもしれません。
でも父は、そこに引っかかったようです。
人間の都合でいろんな場所に植えられて、うまくいかなければ「弱い」「ダメだ」と言われる。
父は、その時の苔の扱われ方が、どうしても気になったようです。
自分自身の当時の状況とも、どこか重なる部分があったのかもしれません。
そう思って、苔の事業を始めたそうです。
今振り返っても、なかなか変わった始まり方だと思います。
でも、それがモスファームの原点です。
苔を育てるところから始まった
——最初は、苔を育てるところから始まったんですか?
そうです。
今から40年以上前、父は土地を借りて苔を育て始めました。
もちろん、最初から簡単にできたわけではなかったそうです。
苔をどう育てれば安定するのか。
どうすれば商品として成り立つのか。
そのあたりはかなり試行錯誤があったと聞いています。
いろいろ試す中で、苔はしっかり育つことがわかってきて、父は「これなら商売になる」と思ったそうです。
ただ、その後はバブル崩壊もあり、事業としては厳しい時期が続きました。
最初は卸もやっていて、造園資材を扱う業者さんに苔を出していたそうです。
苔そのものの評判は悪くなかったようですが、取引の中で無茶を言われることも多く、父はだんだん卸をやりたくなくなっていったようです。
そこから、少しずつ通販に切り替えていきました。
試行錯誤しながら、通販へ
——通販に切り替える前は、どんなことをしていたんですか?
最初から今のような形だったわけではありません。
雑誌に広告を出したり、チラシを配ったり、できることは一通りやっていたと聞いています。
後になって父が言っていたのですが、マンションにチラシを入れても、苔は基本的に庭用なのであまり意味がなかったと。
それはたしかにそうだろうなと思います。
でも、そういうことも含めて、当時は全部本気でやっていたんだと思います。
その後、インターネットが出てきて流れが変わりました。
ネット販売を伸ばしていく中で、今のモスファームの土台が少しずつできていきました。
山で熊に襲われた父の話
——お父様が山で熊に襲われたことがあったそうですね。
はい。
今から20年くらい前、私が高校生の頃のことです。
父が山で苔の調査をしていた時、子熊を見つけたそうです。
その近くには母熊もいたそうで、嫌な予感は当たります。
母熊が襲いかかってきました。
父は素手で応戦し、撃退したそうです。
ただ、当然ながら無傷では済みませんでした。
骨はやられ、顔もやられ、かなりの大けがでした。
入院も長く、かなりひどい状態だったのを覚えています。
それなのに入院中、父は、
みたいなことを言っていました。
いや、そういうことじゃないだろと。
助かったのは本当によかったんですが、空手をやっていたからといって、熊を素手で撃退できるわけがないだろうと、当時は思っていました。
でも今振り返ると、あの一件には父らしさがよく出ていた気もします。
無茶をするし、妙に頑丈だし、発想も少しずれている。
そういう人です。
家業を意識するようになったきっかけ
——その出来事が、家業を意識するきっかけになったのでしょうか?
きれいにまとめるなら、あの出来事がきっかけで家業を継ごうと思った、という話になるのかもしれません。
でも実際は、そんなに立派な話でもありません。
正直に言えば、私は父と特別仲が良かったわけではないです。
尊敬していた、という感じでもありませんでした。
ただ、あの時に初めて父の弱った姿を見ました。
それで、まあ何とか助けるか、という気持ちが出てきたんだと思います。
立派な志というよりは、そっちのほうが近いです。
その流れもあって、何か親の助けになるような研究をやるか、みたいなことを考えて、私は大学院で苔と光合成の研究をしていました。
一度は別の会社へ
——大学院を出た後は、すぐにモスファームへ入ったのですか?
いえ、最初から家業に入ったわけではありません。
大学院を出た後は、化粧品会社で3年ほど働いていました。
その後、父が脳梗塞で二度倒れました。
一度目の時はまだ迷いがありましたが、二度目の時に戻ることを決めました。
これも、最初からきれいな理念だけで戻ったわけではありません。
かなり現実的な事情もありました。
でも、その現実の中で向き合ったからこそ、見えたものもあったと思います。
富士山みやび苔ができるまで
——会社に戻ってから、ご自身で形にしたものはありますか?
私が会社に入ってから、全部を変えたわけではありません。
基本的には、父が長年やってきたことを引き継いでいます。
その中で、私が形にしたものがあります。
それが「富士山みやび苔」です。
杉苔は、植えて2〜3年くらいで変色してしまうという相談が多くありました。
父はそこを長年見ていく中で、オス株とメス株の違いに着目していました。
有性生殖の時に変色が起きるなら、メス株を中心に育てれば安定しやすいのではないか。
考え方としてはシンプルですが、やるのは簡単ではありません。
オスとメスを見分けられる時期は限られています。
だいたい春先の短い期間だけです。
その時期に毎年分ける。
また分ける。
それをずっと続ける。
15年くらい、その作業を続けてきたと聞いています。
普通に考えると、かなり地道です。
でも、その積み重ねがあったからこそ、今の富士山みやび苔があります。
父は、それを商品としてどう見せるかまでは、あまり考えていなかったようです。
だから私は、その長年の積み重ねを、きちんと伝わる形にして商品として出していく役割を担いました。
苔は、まだわからないことが多い
——苔を扱う上で、今大切にしていることは何ですか?
ここまで読むと、何か立派な理念があって一直線にやってきた会社のように見えるかもしれません。
でも実際は、そんなにきれいな話ばかりでもありません。
私自身、ずっと借金を返すことばかり考えていた時期もあります。
だから、ここで急に聞こえのいいことを並べるつもりもありません。
ただ、今は思っていることがあります。
苔は、まだわからないことが多い植物です。
庭の中でどう育つかも、環境による差が大きい。
これをやれば100%大丈夫です、と言い切れるものではありません。
むしろ、そこで簡単に言い切るほうが怪しいと思っています。
実際、お客様からは、
「うまく根付かない」
「茶色くなってきた」
「何が原因かわからない」
そういう相談をたくさんいただきます。
だからこそ私たちは、わからないことを適当にごまかさない。
でも、言い切れないことは無理に断定しない。
研究的な視点と、現場で積み重ねてきた経験の両方から、できるだけわかりやすくお伝えすることを大事にしています。
今、モスファームが大切にしていること
——今のモスファームは、どんな会社でありたいですか?
モスファームは、苔をただ販売するだけの会社ではありません。
苔のことで不安を感じている方に、できるだけわかりやすく伝えること。
環境に合った考え方や、育て方のヒントを届けること。
そして、少しでも安心して苔と向き合ってもらうこと。
それが今、私たちがやりたいことです。
父は昔、「苔の汚名を払拭したい」と思ってこの仕事を始めました。
私はその思いを、今の時代に合った形で引き継いでいきたいと思っています。
変わった始まり方の会社ではあると思います。
でも、やっていること自体はわりとシンプルです。
苔のことをきちんと知って、きちんと伝えて、安心して選んでもらえるようにする。
今のモスファームは、そういう会社でありたいと思っています。





